<着物は文化>丁寧に暮らす、ということ。

有り余る時間とどう向き合うか。

自粛生活が続く中、わたしたちはごくごく当たり前の基本的な生活や日常と向き合わざるを得ない状況にあります。これまで仕事や学校、習い事やお付き合い、とにかく慌ただしく、毎日毎日ノルマをこなしていくような日々を過ごしていました。

ところが、その「出て行く」要件がほぼすべてなくなってしまうと、朝起きる、ご飯を食べる、身支度を整える、住まいを整える、今まで忙しさで見失いがちだったり適当に済ませていたよしなしごとに向き合わなければならなくなってしまいました。

何もすることがない、という膨大な時間をいかに淡々とそして充実させていくかは、生活における「やらなければならないこと」をいかに丁寧に、楽しみながら処理していけるかにかかっているといっても過言ではありません。

そのひとつひとつを丁寧に楽しむことができれば、日々の何気ない生活の中に密かな充実感をもって穏やかに過ごしていけるのではないかと思うのです。

そしてそういう心持ちは、「着物を着る」という事とも、とても深く関わりがあるように感じられます。

着物を着る工程はとても面倒。だけど・・・

着物を着たことがある方は、よくご存知かと思いますが、まぁ一般的にはとても面倒です。たくさんの着物用小物があって、たくさんの工程があります。そして、その一つでもかけると次に進めません。腰紐ひとつないだけで、着物はきれないのです。

実際、出張に行くときに帯板を忘れてしまった、足袋を忘れてしまった、腰紐が1本足りない・・・コンビニやその辺で売っているものではないので、血の気が引いたことは何度もあります。

着物を生業としている者として、こんなことを言ってしまっては元も子もないのですが、なんて着物って面倒なんだろう!・・・特に忙しいとき。時間がないとき、でも着なければならない時、どうしてもそう思ってしまいます。

文明と文化-ファストファッションと着物。

そう。着物って心にゆとりがないと着れないのです。

逆説的に言うと、忙しくて心にゆとりがないから落ち着いた自分を取り戻すためにあえて原点に帰る、そんなセラピーとしての要素もあるのではないかと思うのです。

私の尊敬するある着物業界の経営者の方が「着物は文化である」とおっしゃっていました。「文明とは物事をより便利に簡単にするものであるが、文化は面倒くさいものだ。ペットボトルのお茶は文明だが、急須で入れるお茶は文化である。」と。

そう考えると、ファストファッションは文明であり、着物は文化である、と言えるのかもしれません。

着物を着る=手間をかけ、丁寧に慈しむこと。

着物を着るために、季節を感じ、相手の事を思い、場所に応じた節度のある着物と帯を選ぶ。そして、着付けの工程を考えながら、腰紐や足袋、様々な小物を抜かりなく揃えて行く。ひとつひとつ、丁寧に時間をかけながら身支度をしていくその時間そのものを味わい楽しむ。自分の理想とする自分に、少しでも近づこうとするその凛とした心が、また自分を楽しませてくれます。

手間をかけ、慈しむ時間そのものを丁寧に楽しむ事。

そんなところが、着物が文化たる所以なのかもしれません。